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危ない橋
投稿者:SANZOKU 投稿日:2015/08/13(木) 07:35:05 No.6253 [返信]
GANBA-SETAさん。尿閉になられた時は焦るとともに、実に心細く感じられたこととお察しいたします。敵が敵だけに大なり小なり伏兵が居ると思って治療に臨んだほうが良いですよね。ともあれお互いここまで来れたことを感謝します。

危ない橋で思い出したのですが、考えてみればこれまで5回くらい危ない橋を渡ってきたような気がします。

1回目は義弟が同病に倒れ、自分も検査を受けたことです。幸い義弟は現在、手術で順調に推移しています。彼が居なかったら、完全に手遅れになってから発見されたでしょう・・・。

2回目はPSA検査をした時です。前年そのお医者さんで大腸内視鏡検査をした時、触診をしており、先生は大丈夫という感触があったのでしょう。本当にやりますかというニュアンスの問いかけがありました。怖いことは先送りしたい何時もの心情が頭を持ち上げ、「そうだよな。自分が癌の訳がないよ!」という悪魔の誘惑が聞こえたのです。それに対して「いや待てよ。ここで都合の良いことを考えるのは、何時もの悪い癖だから」と正気に戻ったのでした。

3回目は地元のT大学病院で癌の宣告を受け、しかも転移があると告げられた時です。頭が真っ白に飛んでいました。仮に転移がないと告げられていたら、藁にもすがりたかった心の弱い自分は、ハイリスクにもかかわらず、根治的全摘手術の美名の下に屈していたことは間違いありません。

4回目はT大学付属病院で二度目の骨シンチを前倒しでやっていただいた時です。放射線技師の方と何気なく会話していました。その方は親切な方で、撮りたての画像をモニタに映し出して、これはそう心配することはないのではないかという私見を述べてくれました。言うまでもなく、この事がその後のS医大での診察に飛躍するきっかけを作ってくれました。

5回目はそのS医大につながる契機です。それが自分の治療先になるとは知らず、私は義弟のため関西でトリモダリティ治療のできる病院を何カ所かひげの父さんから伺っていたのです。その後はO先生、K先生の巨大な引力に吸い寄せられ、ここに報告している通りの経過を辿るのです。

こう考えてくると、くわばらくわばら。結構危ない橋渡っているやん・・・。この治療に巡り会えたことは奇跡に近いという感慨が込み上げてくるのです。多くの皆さんに感謝です。
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