山口果林さん(この人も懐かしい)が綴った手記「安部公房とわたし」の中で、
「安部公房さんは前立腺がんだった」と書かれているという。
わざわざこうしたニュースが流れるのは、講談社のプロモーションのような気がしないでもないのですが、
我々の世代には、馴染みの深い作家だけに、やっぱり驚きですね。
頭蓋骨や大腿骨にも転移しており「余命は年単位」と告げられ、88年に睾丸摘出手術、
91年には放射線治療(おそらく骨転移に対する緩和照射でしょう)も受けていたようです。
93年に没、68歳だったとか。
当時は、PSA検査という手段もなかったので、骨転移による疼痛を、腰痛と思って整形外科に駆け込み、
このようにかなり進行した段階で、見つかることが普通でした。
また、リュープリンのような薬もなかったので、有無をいわさず、即、睾丸を摘出されていた時代でした。
死因が「急性心不全」であったようですが、「がん」という病名が伏せられることが多かったのも、この頃の特徴でしょう。
我々の世代には人気のあった作家でしたが、わたしがはっきり読んだと覚えているのは「砂の女」ぐらいでしょうか。
いまさらかも知れませんが、改めて合掌。
「安部公房さんは前立腺がんだった」と書かれているという。
わざわざこうしたニュースが流れるのは、講談社のプロモーションのような気がしないでもないのですが、
我々の世代には、馴染みの深い作家だけに、やっぱり驚きですね。
頭蓋骨や大腿骨にも転移しており「余命は年単位」と告げられ、88年に睾丸摘出手術、
91年には放射線治療(おそらく骨転移に対する緩和照射でしょう)も受けていたようです。
93年に没、68歳だったとか。
当時は、PSA検査という手段もなかったので、骨転移による疼痛を、腰痛と思って整形外科に駆け込み、
このようにかなり進行した段階で、見つかることが普通でした。
また、リュープリンのような薬もなかったので、有無をいわさず、即、睾丸を摘出されていた時代でした。
死因が「急性心不全」であったようですが、「がん」という病名が伏せられることが多かったのも、この頃の特徴でしょう。
我々の世代には人気のあった作家でしたが、わたしがはっきり読んだと覚えているのは「砂の女」ぐらいでしょうか。
いまさらかも知れませんが、改めて合掌。