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Re: たかがPSA、されどPSA
投稿者: 投稿日:2019/12/08(日) 11:03:35 Home No.11707 [返信]

SANZOKU さん
私の治療後の経過を「順調な経過」ということで書いていただき、ありがとうございます。

>経過は私も「ほぼ詰み」だと思います。
将棋でよくきく言葉を比喩としてあげました。

昨日の竜王戦、激戦を制し(逆転し)豊島竜王名人の誕生となりました。詳しい記事は以下のとおり。
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20191207-00154054/

一昨日、暖房不具合で対局30分の中断という事態になり、アクシデント発生のときは今まで豊島勝だったので、幸先よいと思っていたのですが、戦局は厳しく、一時期は諦めて今日もふて寝かと思っていたのですが、豊島勝利で熟睡できました。

解説の棋士の言葉として「ほぼ詰み」はひとりではなく何人もの人から発せられました。
解説者によっては竜王応援のスタンスの人もおり、最終的には読売新聞のyoutube 中継をみました。解説の糸谷哲郎 八段は豊島さんと将棋合宿をした仲ですが、中立的な解説でした。
糸谷さんは竜王位もとっています。大阪大学の哲学科の大学院にいった異色の棋士です。
著書の 戸谷洋志、糸谷哲郎『棋士と哲学者-僕らの哲学的対話-』イースト・プレスを読み、感想というか引用をブログに書きました。
http://inves.seesaa.net/article/470938552.html

>この病になるまで、自分の死は、
>何処かはるか遠い事のように思って居ました。
>ところが意外に身近にあったのですね。

私はSANZOKUさんと異なり、死を身近に感じたのは前立腺がんではなく、生検の後、重篤な敗血症となり、初めての入院となったときでした。
治療として全身の血液を一旦外にだし、フィルターで浄化し元に戻すということを都合2回行いました。装置の設置場所の関係でICUに入り、心電図が動いているのは私が生きている証という状況でした。
思ったことは死は非日常ではなく、病院の中の日常なんだということです。
観念としての死は中学時代から心に澱のように留まっているものですが、現実の死は多分あっけないものでそう怯えることはないかなという印象でした。

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