そのようなところまで見ていただいていたとは恐縮です。
私は地元の病院で転移ありの診断をいただき、
先の見えないホルモン治療を受けていました。
転移ありの場合、5年生存率は30%程度ですから、
有り体に謂わば、余命3年というところでした。
朝から晩まで何度溜息が出たことでしょう・・・。
作業に夢中になっている時と寝る時だけが救いの時間でした。
それまでの自分は齢(よわい)64歳にして、
100歳間違いなしという感覚で死を考えませんでした。
逆に言えば生を考えていなかったのです。
生きることの重さを見失っていたと言っても過言ではありませんでした。
そのような気持ちに至った時、身の回りの生が必死に生きていることに気付いたのです。
何か愛おしいような生き様であることに・・・。
「生に対する不遜な気持ち」云々は、
そのような抜き差しならぬ所に居た時に発せられた偽らざる気持ちです。
現在は大分緩和されて生は当たり前に戻りつつありますが、
さすがに遅かれ早かれ終末を迎えるという気持ちに変わりはありません。
どれだけ生かされるか分かりませんが、大切に生きたいですね。
何れにしても、もうそれほど長く生きられる訳ではありません。
これからも世俗の泥にまみれて生きて行くと思いますが、
節目節目で生きたいように生きて行きたいと思います。
私は地元の病院で転移ありの診断をいただき、
先の見えないホルモン治療を受けていました。
転移ありの場合、5年生存率は30%程度ですから、
有り体に謂わば、余命3年というところでした。
朝から晩まで何度溜息が出たことでしょう・・・。
作業に夢中になっている時と寝る時だけが救いの時間でした。
それまでの自分は齢(よわい)64歳にして、
100歳間違いなしという感覚で死を考えませんでした。
逆に言えば生を考えていなかったのです。
生きることの重さを見失っていたと言っても過言ではありませんでした。
そのような気持ちに至った時、身の回りの生が必死に生きていることに気付いたのです。
何か愛おしいような生き様であることに・・・。
「生に対する不遜な気持ち」云々は、
そのような抜き差しならぬ所に居た時に発せられた偽らざる気持ちです。
現在は大分緩和されて生は当たり前に戻りつつありますが、
さすがに遅かれ早かれ終末を迎えるという気持ちに変わりはありません。
どれだけ生かされるか分かりませんが、大切に生きたいですね。
何れにしても、もうそれほど長く生きられる訳ではありません。
これからも世俗の泥にまみれて生きて行くと思いますが、
節目節目で生きたいように生きて行きたいと思います。