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前立腺がん治療体験記
投稿者:淡海の住人 投稿日:2014/07/30(水) 08:49:26 No.4398 [返信]
私が前立腺癌に遭遇したのは、5年前の62歳の時でした。36年間程勤務した会社を
退職し3年ほどが過ぎ、元気なうちにやりたいことをと思って活発に活動していたころです。人間ドックでの結果報告書に「腫瘍マーカーのPSAが高値です。泌尿器科の検査を
受けてください。」と書かれていたのです。検査結果の腫瘍マーカーの項目を見ますと
PSAは4.080となっていて、その前の年は3.660でした。その横には基準値は0.00-4.00と書かれていました。この時 私は初めてPSAという言葉を知ったのです。何の検査かもよく知らなかったのです。想定外の部所の検査結果の指摘で、驚きとともに ネットや本でPSA,前立腺について必死になって調べました。ただしわずかの基準値オーバーでしたので、コレステロール値のオーバーした時のように軽く思っていました。
そして人間ドックを受けた病院(N病院)の泌尿器科を受診し、MRIを受けました。
万一のことも考え、セカンドオピニオンとしてK大学付属病院も受診しました。N病院のMRI検査結果は、前立腺癌の疑いがあり、生検の必要があるとのことでした。 先生のお話では 癌の確率は60%とのことで、それを聞いて私は真っ青になりました。急いでN病院のMRIの写真をK大学付属病院に持ち込み。確認していただいたところ「所見なし」と判断されたのです。私はK大学付属病院が、近辺で一番に権威があると勝手に思い込んでいたので、「所見なし」と聞いてほっとしましたが、でもすっきりした気持ちにはなれずにいました。
そんな時 会社の先輩で前立腺の治療をしている方を知り、その方がS医科大付属病院のO先生を教えてくれたのです。早速O先生の診察を受け、PSA値は、3.73で、 それにMRIの診断から6か月後に再度検査を受ける予約をしたのです。6か月後に検査を受けるとPSAが4.3に上がっていて、先生はすぐに生検を行いましょうと話されたのです。私は恐ろしさのあまりか今では意味不明の「先生 3か月後の経過検査で お願いできないでしょうか?」と言ったのです。
この私の言葉は あとで撤回し、その半月後の2月9日にS医科大学付属病院で生検を受けたのです。その結果が分かったのは2月25日で、右 2/4,  左2/4に癌細胞が見つかり、Gleason 3+4の前立腺癌と診断されたのです。そんな私に追い打ちをかけるように、転移の検査が必要と言われたのです。打ちひしがれている私には、神仏にすがること以外思い浮かびませんでした。数日後には雪国にある両親のお墓参りに2m近くの雪を踏み分けて お参りしてきました。京都の癌封じのお寺にもお参りに出かけました。
2010年 3月10日
O先生から転移はなかったとのお話を聞き 最悪は免れたのかとほっとしました。
MRI,US,直腸指診より 臨床診断ではT2cとのこと。
その後治療方法についての説明があり、私は小線源治療をお願いしました。
3か月程ホルモン治療をして、小線源治療を行い、その後3-4週間ほど外部照射すれば
根絶できるでしょうとの先生のお話でした。「頑張りましょう」と先生に言われて、命を守る為、健康を取り戻す為の戦いが始まるのだと 前向きな気持ちにさせられました。
2010年 3月25日
 ホルモン注射を受け、ホルモン抑制剤のカソデックスを飲み始めました
 その効果か 5月19日には PSAが 0.216に低下
6月21日
 小線源治療で入院
6月22日
 9時頃から点滴開始
 10時頃 手術室へ、脊髄に麻酔注射され 暫くして下半身感覚なし
      尿道にカテーテルを入れられ
      泌尿器科のO先生 と 放射線科のK先生による小線源カプセルの
      挿入治療が始まりました。
      50個挿入された話を聞きました。
      治療は1時間半から2時間ほどであったと思います。
      麻酔のおかげで何の痛みも感じませんでした。
 小線源治療後 ストレチャーに乗せられレントゲン室へ、そして病室へ
 その日は 点滴と水分補給だけでした。
6月23日
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