以下にプレス向けに流した資料の一部(TOPページ)を紹介しておきます。
「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2014神戸」初開催への思い
がん患者のほとんどは悶々と眠れないまま一晩を過ごした経験があるはずです。
夜明け前のほんの一瞬、東の空が紫に変わる時間帯がありますが、リレー・フォー・ライフでは、この夜明けの紫(ドーンパープル)を明日への希望と重ねあわせ、シンボルカラーと定めました。
リレー・フォー・ライフ・ジャパン神戸(以下RFL神戸)では、一昼夜歩き(走り)続けながら、がん啓発やステージでの演奏など、さまざまなエンタテイメントが行われます。夕刻になると、ランニングコースに沿って、紙袋に願いを書いた燈籠(これもルミナリエと呼んでいます)が並び、来場者の一人一人が手に持ったキャンドルを並べることで、芝生の上に「HOPE」というキャンドル文字が浮かび上がり、この時間帯には、がんで亡くなった人をしのぶ「エンプティ・テーブル」と呼ばれるおごそかなセレモニーもあり、ポートタワーやモザイクの観覧車もドーンパープルの光に包まれます。
リレー・フォー・ライフというのはアメリカで始まったイベントで、たった一人の医師ががん患者支援を訴え、24時間走り続けて募金を集めたのがその起源と言われています。
2005年、ちょうど私ががんで落ちこんでいた時にテレビで見たアメリカのリレー・フォー・ライフは衝撃的でした。公園で、胸を張って元気そうに歩くサバイバー(がん体験者)達や、バーベキューで共にはしゃぐ彼らの友人達の姿に感動を覚えると共に、日米のがん患者の置かれた立場の違いに愕然とし、カルチャーショックを覚えたものです。
がん患者と言えば、「がん=死」という古いイメージから、暗く死にそうな人を連想しがちですが、現実にはがんを克服した人も居られれば、がんと共存しつつも「健康」に暮らせている人も多いという事実を、多くの人に知っていただき、わけ隔てなく普通にがん患者と接することが、がん患者も安心して暮らすことのできる社会への近道であり、震災を体験し、命のリレーを身近に感じることの出来る神戸であればこそ、このリレー・フォー・ライフをきっかけに、がん患者にもいっそう優しい街、住みやすい街になってほしいと願うところです。
リレー・フォー・ライフ・ジャパン 2014 神戸
実行委員長 武内 務
「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2014神戸」初開催への思い
がん患者のほとんどは悶々と眠れないまま一晩を過ごした経験があるはずです。
夜明け前のほんの一瞬、東の空が紫に変わる時間帯がありますが、リレー・フォー・ライフでは、この夜明けの紫(ドーンパープル)を明日への希望と重ねあわせ、シンボルカラーと定めました。
リレー・フォー・ライフ・ジャパン神戸(以下RFL神戸)では、一昼夜歩き(走り)続けながら、がん啓発やステージでの演奏など、さまざまなエンタテイメントが行われます。夕刻になると、ランニングコースに沿って、紙袋に願いを書いた燈籠(これもルミナリエと呼んでいます)が並び、来場者の一人一人が手に持ったキャンドルを並べることで、芝生の上に「HOPE」というキャンドル文字が浮かび上がり、この時間帯には、がんで亡くなった人をしのぶ「エンプティ・テーブル」と呼ばれるおごそかなセレモニーもあり、ポートタワーやモザイクの観覧車もドーンパープルの光に包まれます。
リレー・フォー・ライフというのはアメリカで始まったイベントで、たった一人の医師ががん患者支援を訴え、24時間走り続けて募金を集めたのがその起源と言われています。
2005年、ちょうど私ががんで落ちこんでいた時にテレビで見たアメリカのリレー・フォー・ライフは衝撃的でした。公園で、胸を張って元気そうに歩くサバイバー(がん体験者)達や、バーベキューで共にはしゃぐ彼らの友人達の姿に感動を覚えると共に、日米のがん患者の置かれた立場の違いに愕然とし、カルチャーショックを覚えたものです。
がん患者と言えば、「がん=死」という古いイメージから、暗く死にそうな人を連想しがちですが、現実にはがんを克服した人も居られれば、がんと共存しつつも「健康」に暮らせている人も多いという事実を、多くの人に知っていただき、わけ隔てなく普通にがん患者と接することが、がん患者も安心して暮らすことのできる社会への近道であり、震災を体験し、命のリレーを身近に感じることの出来る神戸であればこそ、このリレー・フォー・ライフをきっかけに、がん患者にもいっそう優しい街、住みやすい街になってほしいと願うところです。
リレー・フォー・ライフ・ジャパン 2014 神戸
実行委員長 武内 務