2013年11月26日(火)付弊投稿の続きです。
息子の永住ビザの期限が6月であり、一緒にメルボルンへ移住する予定だったので、何カ所かの過去拠点を経由して仕事を済ませメルボルンに入り、息子の家族が快適に住める環境を整えていました。
しかし、息子と一緒とは言え、勝手の違う初めての土地でのアレンジは困難を極めていた矢先の7月9日に、強い腰痛が襲ってきて、緊急入院を余儀なくされました。
日本にいる間もゲルソン療法を手本に癌細胞が喜びそうな食事を改めて、動物性脂肪と食塩分を極力避け野菜を出来るだけ多く摂取していました。
こちらに来ても食養生に気を配って多量の生野菜ジュースを毎朝飲んだりしていたのに、発症してしまったのは大きな誤算でした。
最初に入院したW病院で撮ったCT画像を診た医師達の判断は大変深刻な事態で、脊椎骨が脆くなっていて、緊急手術しないと神経を圧迫して下半身麻痺が避けられないと言われました。
最終診断したのは神経外科医で今更放射線治療しても骨が陥没する危険性があり、外科手術でチタンを付けて補強しないと責任が持てないと言うことで、生まれて初めての大手術、しかも見知らぬ外国の地で受ける事に同意せざるを得ませんでした。 一つだけ助かったことは、息子がズット付いていてくれたことだけです。
しつこいかも知れませんが、こうなったのもかつてのヤブ主治医が自分の発表データ集めのみを目的として、患者にとって毎回は不必要な骨シンチだけ撮って、CTやMRIを一切撮らなかったのも重大な過失だと思います。
もう一つ付け加えると骨シンチで転移カ所数量がその医大病院で最上位に近いと告げながら、こちらの質問「先生、骨に多数転移しているようなので、ゾメタとかしなくて良いのですか?」を無視して早めに投与治療をしなかったことも原因だと思います。 なので、医大教授なんてタイトルを有難がる患者の気が知れません。
私は日本で既に凄い全身骨転移を抱えているのに痛みを全然感じなかったのは良いことですが、日本で掛かった医師達はそんな原因等どうでも良く科学者魂が著しく欠如していて、人体の修理工と言われても文句が言えないでしょう。 推測ですが、脳からエンドルフィンが人様より多量に分泌されているのかも知れません。 私のような症例は研究の対象にしてもらいたいです。
皆さんの投稿を読ませてもらい対比すると、大量の全身骨転移なのにPSA最高が42で未分化又は低分化型癌細胞だと思います。 そんな指摘は医師達からされたことはありませんが、坑男性ホルモン療法が僅か半年で効かなくなったのもそのせいかも知れません。
ここの医療体制は最初のW病院から当日にF病院に救急車で移送され入院生活が始まり、途中でMRI撮影のためS病院へ救急車で往復しました。 一週間後に手術のためR病院に移され、10日入院後F病院へ帰り6日後退院しました。 要は各病院で全設備を保有するのではなく、限られた資源を有効活用して予算を節約しているのでしょう。 医師達の活用も同様な考えで、すごくローテーションしています。 日本のように教授がいて、下に准教授がいて、その下に・・・のような白い巨塔の世界が現存する無駄がありません。 よって担当してくれた医師達も若く専門も様々で、神経外科医、腫瘍専門医、手術専門医、放射線専門医、形成外科医等々しかもそれぞれの科の医師が複数いて、日本のような主治医制度はなく、変な主治医が担当になってしまうより、却って良いと思いました。 あれだけの大手術の割に術後僅か2週間入院が許される最長期間だったのも医療予算節減の一環でしょう。
大手術の時を思い出すと肉体的にも精神的にも疲労していた悪条件に加えて、外科医の腕前とか救命体制等が全く未知数だったので、最悪の事態も脳裏を横切りました。
特定の宗教に洗脳されていなくても、死ぬのはそれ程怖くはないのですが、残された者達が困らないように息子と確認を怠りませんでした。
手術を待つ間はまな板の鯉の心境でしたが、いつ麻酔を打たれたのか完全に記憶が飛んでいて、寒くてふと気付いた時に未だ麻酔を打たないのかと看護師に聞くと、もう手術は終わりましたと言われホットしました。
脊椎へ癌細胞が取り付いて破壊しそうになっていたのに、脊椎あたりは全然痛くなくて腰の激痛だったので、当初ぎっくり腰であって欲しいと淡い希望をもっていました。 不思議で幸運なことに手術成功した後は腰の痛みは消失していました。 やはり術後はベッドでの寝返り位で全然動けませんでしたし、痛みは最初モルヒネで抑えていました。 少量投与なのに一日中もうろうとして時間感覚が無くなり気持ち良かったですが、2日後には取り上げられてしまいました。(笑)
入院中は数々の薬剤を投与された上にオージーでさえ文句を言う位の病院食は運動不足も加わりほとんど食べられず、10キロも痩せてしまいました。 それに伴い酷い便秘にも悩みました。 そんな最悪の状況でも幸いなことに精神的には安定して睡眠は取れていましたが、肉体的には地獄の苦痛と言えたでしょう。 手術後2日にはもう専門施療師が来てリハビリを開始した時は未だ痛みがきつい上に足の筋肉衰弱がひどくて、これから普通に歩けるようになるのか不安がありました。
まだ思い出せば色々あるでしょうが、7月30日に退院を余儀なくされ、息子が迎えに来てくれても慣れないメルボルンで新しい生活を始めるのが不安な気持ちでした。 退院担当の看護師から日本のように会計へ行くように指示されず、怪訝に思って聞くとそのまま帰って良いという事は、全て無料だと気が付き驚きを禁じ得ませんでした。 車椅子生活になるピンチを救ってくれて、オーストラリアの医療には非常に感謝しています。
入院生活では輸血、抗生剤、各種鎮痛剤、ステロイド剤や血栓防止剤注射等々の投与を受けて理想とはかけ離れた身体の状態になってしまったが、立て直しつつあります。 その後に放射線治療等あり、現在の様子も含めてまた書くことにします。 長くなったのでこの辺で・・
息子の永住ビザの期限が6月であり、一緒にメルボルンへ移住する予定だったので、何カ所かの過去拠点を経由して仕事を済ませメルボルンに入り、息子の家族が快適に住める環境を整えていました。
しかし、息子と一緒とは言え、勝手の違う初めての土地でのアレンジは困難を極めていた矢先の7月9日に、強い腰痛が襲ってきて、緊急入院を余儀なくされました。
日本にいる間もゲルソン療法を手本に癌細胞が喜びそうな食事を改めて、動物性脂肪と食塩分を極力避け野菜を出来るだけ多く摂取していました。
こちらに来ても食養生に気を配って多量の生野菜ジュースを毎朝飲んだりしていたのに、発症してしまったのは大きな誤算でした。
最初に入院したW病院で撮ったCT画像を診た医師達の判断は大変深刻な事態で、脊椎骨が脆くなっていて、緊急手術しないと神経を圧迫して下半身麻痺が避けられないと言われました。
最終診断したのは神経外科医で今更放射線治療しても骨が陥没する危険性があり、外科手術でチタンを付けて補強しないと責任が持てないと言うことで、生まれて初めての大手術、しかも見知らぬ外国の地で受ける事に同意せざるを得ませんでした。 一つだけ助かったことは、息子がズット付いていてくれたことだけです。
しつこいかも知れませんが、こうなったのもかつてのヤブ主治医が自分の発表データ集めのみを目的として、患者にとって毎回は不必要な骨シンチだけ撮って、CTやMRIを一切撮らなかったのも重大な過失だと思います。
もう一つ付け加えると骨シンチで転移カ所数量がその医大病院で最上位に近いと告げながら、こちらの質問「先生、骨に多数転移しているようなので、ゾメタとかしなくて良いのですか?」を無視して早めに投与治療をしなかったことも原因だと思います。 なので、医大教授なんてタイトルを有難がる患者の気が知れません。
私は日本で既に凄い全身骨転移を抱えているのに痛みを全然感じなかったのは良いことですが、日本で掛かった医師達はそんな原因等どうでも良く科学者魂が著しく欠如していて、人体の修理工と言われても文句が言えないでしょう。 推測ですが、脳からエンドルフィンが人様より多量に分泌されているのかも知れません。 私のような症例は研究の対象にしてもらいたいです。
皆さんの投稿を読ませてもらい対比すると、大量の全身骨転移なのにPSA最高が42で未分化又は低分化型癌細胞だと思います。 そんな指摘は医師達からされたことはありませんが、坑男性ホルモン療法が僅か半年で効かなくなったのもそのせいかも知れません。
ここの医療体制は最初のW病院から当日にF病院に救急車で移送され入院生活が始まり、途中でMRI撮影のためS病院へ救急車で往復しました。 一週間後に手術のためR病院に移され、10日入院後F病院へ帰り6日後退院しました。 要は各病院で全設備を保有するのではなく、限られた資源を有効活用して予算を節約しているのでしょう。 医師達の活用も同様な考えで、すごくローテーションしています。 日本のように教授がいて、下に准教授がいて、その下に・・・のような白い巨塔の世界が現存する無駄がありません。 よって担当してくれた医師達も若く専門も様々で、神経外科医、腫瘍専門医、手術専門医、放射線専門医、形成外科医等々しかもそれぞれの科の医師が複数いて、日本のような主治医制度はなく、変な主治医が担当になってしまうより、却って良いと思いました。 あれだけの大手術の割に術後僅か2週間入院が許される最長期間だったのも医療予算節減の一環でしょう。
大手術の時を思い出すと肉体的にも精神的にも疲労していた悪条件に加えて、外科医の腕前とか救命体制等が全く未知数だったので、最悪の事態も脳裏を横切りました。
特定の宗教に洗脳されていなくても、死ぬのはそれ程怖くはないのですが、残された者達が困らないように息子と確認を怠りませんでした。
手術を待つ間はまな板の鯉の心境でしたが、いつ麻酔を打たれたのか完全に記憶が飛んでいて、寒くてふと気付いた時に未だ麻酔を打たないのかと看護師に聞くと、もう手術は終わりましたと言われホットしました。
脊椎へ癌細胞が取り付いて破壊しそうになっていたのに、脊椎あたりは全然痛くなくて腰の激痛だったので、当初ぎっくり腰であって欲しいと淡い希望をもっていました。 不思議で幸運なことに手術成功した後は腰の痛みは消失していました。 やはり術後はベッドでの寝返り位で全然動けませんでしたし、痛みは最初モルヒネで抑えていました。 少量投与なのに一日中もうろうとして時間感覚が無くなり気持ち良かったですが、2日後には取り上げられてしまいました。(笑)
入院中は数々の薬剤を投与された上にオージーでさえ文句を言う位の病院食は運動不足も加わりほとんど食べられず、10キロも痩せてしまいました。 それに伴い酷い便秘にも悩みました。 そんな最悪の状況でも幸いなことに精神的には安定して睡眠は取れていましたが、肉体的には地獄の苦痛と言えたでしょう。 手術後2日にはもう専門施療師が来てリハビリを開始した時は未だ痛みがきつい上に足の筋肉衰弱がひどくて、これから普通に歩けるようになるのか不安がありました。
まだ思い出せば色々あるでしょうが、7月30日に退院を余儀なくされ、息子が迎えに来てくれても慣れないメルボルンで新しい生活を始めるのが不安な気持ちでした。 退院担当の看護師から日本のように会計へ行くように指示されず、怪訝に思って聞くとそのまま帰って良いという事は、全て無料だと気が付き驚きを禁じ得ませんでした。 車椅子生活になるピンチを救ってくれて、オーストラリアの医療には非常に感謝しています。
入院生活では輸血、抗生剤、各種鎮痛剤、ステロイド剤や血栓防止剤注射等々の投与を受けて理想とはかけ離れた身体の状態になってしまったが、立て直しつつあります。 その後に放射線治療等あり、現在の様子も含めてまた書くことにします。 長くなったのでこの辺で・・