初めまして、メルボルンに住み始めたRetireeのOZFPと申します。
ひげのお父さんの専門知識レベルが高いサイトを参考にさせてもらっており、有難うございます。
現在67才で5年後生きていれば奇跡と思われて当然の前立腺癌D2の患者です。
十数年前、最愛の妻を医療過誤に類することで失って、余計に医者と病院に強い不信感を持ち続けていました。
極力医者は避けていたのですが、昨年11月に我慢できない排尿障害を発症して紆余曲折の末に、
日本の某大学病院に掛かり経尿道で膀胱側の腫瘍部を切除検査すると同時に直腸からの針生検を受けました。
当初は膀胱癌の所見でしたが、12本中11本で前立腺癌細胞が見つかり、グリソンスコア9で、
骨シンチグラフィからもその病院で最多グループに属する程に転移していると診断されました。
しかし、CTとMRI検査で他の臓器とリンパや睾丸への転移は認められず、PSAも最高の時で42程度でした。
経尿道手術によって、非常に有難いことに酷かった排尿障害は劇的に改善しました。
骨転移に関しては全くの無症状で、典型的とは言えない病状と検査結果だったので、
骨シンチ診断も何かの誤診か?の希望的疑念や、もし本当でも食事療法で治してやるという不遜な決意で、
妻の余命宣告と比べると大したショックも受けませんでした。
しかし、主治医になった教授医師は初診で開口一番、「自殺しないで下さいね」なんて言うので、
非常な違和感を感じ、「痛い場所はないのですか」の質問に「全然ありません」と答えると首を傾げるだけでした。
「先生、骨に多数転移しているようなので、ゾメタとかしなくて良いのですか」の質問に、
「患者は余計なことを調べなくて良いです」と答えるので、もうこの人に質問出来ないと思いました。
この状態ではどんな医者でもリューブリン注射とカソデックス服用の標準治療しかないと知っていたので、
セカンドオピニオンを求めて特に転院する考えを持たずに今年の5月後半まで4月週間毎に通いました。
PSAは最低の1.2を記録した後に1.3そして、その病院の最後の診察時が1.6でしたが、
主治医から、早くもドセタキセル投与の話が出たので、転院は必須だと判断していました。
丁度、そのタイミングでメルボルンへ住居を構える計画があり、当地でも治療を受けるつもりがありました。
息子の家族は残したまま、彼と勝手知らない初めての土地での生活拠点の立ち上げに奔走していた時、
激しい腰痛で歩行困難になって、メルボルンで緊急入院を余儀なくされてしまいました。
申し訳ないですが、長くなるので今回この位にして、次回の豪州での治療体験談をお待ち下さい。 --続く--
ひげのお父さんの専門知識レベルが高いサイトを参考にさせてもらっており、有難うございます。
現在67才で5年後生きていれば奇跡と思われて当然の前立腺癌D2の患者です。
十数年前、最愛の妻を医療過誤に類することで失って、余計に医者と病院に強い不信感を持ち続けていました。
極力医者は避けていたのですが、昨年11月に我慢できない排尿障害を発症して紆余曲折の末に、
日本の某大学病院に掛かり経尿道で膀胱側の腫瘍部を切除検査すると同時に直腸からの針生検を受けました。
当初は膀胱癌の所見でしたが、12本中11本で前立腺癌細胞が見つかり、グリソンスコア9で、
骨シンチグラフィからもその病院で最多グループに属する程に転移していると診断されました。
しかし、CTとMRI検査で他の臓器とリンパや睾丸への転移は認められず、PSAも最高の時で42程度でした。
経尿道手術によって、非常に有難いことに酷かった排尿障害は劇的に改善しました。
骨転移に関しては全くの無症状で、典型的とは言えない病状と検査結果だったので、
骨シンチ診断も何かの誤診か?の希望的疑念や、もし本当でも食事療法で治してやるという不遜な決意で、
妻の余命宣告と比べると大したショックも受けませんでした。
しかし、主治医になった教授医師は初診で開口一番、「自殺しないで下さいね」なんて言うので、
非常な違和感を感じ、「痛い場所はないのですか」の質問に「全然ありません」と答えると首を傾げるだけでした。
「先生、骨に多数転移しているようなので、ゾメタとかしなくて良いのですか」の質問に、
「患者は余計なことを調べなくて良いです」と答えるので、もうこの人に質問出来ないと思いました。
この状態ではどんな医者でもリューブリン注射とカソデックス服用の標準治療しかないと知っていたので、
セカンドオピニオンを求めて特に転院する考えを持たずに今年の5月後半まで4月週間毎に通いました。
PSAは最低の1.2を記録した後に1.3そして、その病院の最後の診察時が1.6でしたが、
主治医から、早くもドセタキセル投与の話が出たので、転院は必須だと判断していました。
丁度、そのタイミングでメルボルンへ住居を構える計画があり、当地でも治療を受けるつもりがありました。
息子の家族は残したまま、彼と勝手知らない初めての土地での生活拠点の立ち上げに奔走していた時、
激しい腰痛で歩行困難になって、メルボルンで緊急入院を余儀なくされてしまいました。
申し訳ないですが、長くなるので今回この位にして、次回の豪州での治療体験談をお待ち下さい。 --続く--