夜行バスで今朝東京から帰ってきました。
いやぁ~、やっぱり疲れますね。(^^;
Dipex-J「認知症の語り」の記念シンポジウムには約150~160名が参加しておられたと思うのですが、
さほどの予備知識もないまま参加させていただきました。
サイトのほうは、まだ一部で、年内を目標に充実を図っていくとのこと。
具体的事例はまた改めてゆっくりサイトを見せていただこうと思いますが、
問題の捉え方としては、社会全体で「認知症」を認知シヨウ(シャレのつもり)ということですね。
認知症になっても、安らかにくらせる社会を目指そうというのが、今後あるべき方向性だと思いました。
徘徊という言葉も、認知症の患者からすれば、それなりの理由や目的があってやっているのであり、
痴呆とかボケとか言われていたものが、認知症という病名がつき、名前が変わったように、
近い将来、「徘徊」ということばも、もっと適切なものに変える必要があるという意見も出ていました。
東大の中に入ったのは○十年ぶり(母校じゃないですよ~)これはそのシンボル、赤門ですね。
いやぁ~、やっぱり疲れますね。(^^;
Dipex-J「認知症の語り」の記念シンポジウムには約150~160名が参加しておられたと思うのですが、
さほどの予備知識もないまま参加させていただきました。
サイトのほうは、まだ一部で、年内を目標に充実を図っていくとのこと。
具体的事例はまた改めてゆっくりサイトを見せていただこうと思いますが、
問題の捉え方としては、社会全体で「認知症」を認知シヨウ(シャレのつもり)ということですね。
認知症になっても、安らかにくらせる社会を目指そうというのが、今後あるべき方向性だと思いました。
徘徊という言葉も、認知症の患者からすれば、それなりの理由や目的があってやっているのであり、
痴呆とかボケとか言われていたものが、認知症という病名がつき、名前が変わったように、
近い将来、「徘徊」ということばも、もっと適切なものに変える必要があるという意見も出ていました。
東大の中に入ったのは○十年ぶり(母校じゃないですよ~)これはそのシンボル、赤門ですね。
