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IMRT3年が終わって
投稿者:トム 投稿日:2017/05/31(水) 08:43:48 No.58

トム。昭和14(1939)年生まれ、現在78歳。都内在住。高リスクIMRT患者


IMRTが終って3年

1.はじめに
最近、投稿がめっきり減ったIMRTですが、患者数が減っていることはないでしょう。IMRTを終えた方とこれから受ける方、これら声なき多くの方々に、治療終了後の一応の目安である3年‐直腸・尿路晩期障害発生率最大期間が経過したこと、加えて、個人の価値観が多様であるように掲示板にも多様な情報が有って然るべきと考え、私の体験を投稿することとしました。ご一読頂ければ幸いです。

2.がん発覚まで
・埼玉県内私立医科大学付属メディカルセンターにて、67歳から年1回、循環器内科検体検査に合わせてPSAを測定。
・2013年74歳、PSA=4.67 で同病院泌尿器科受診。生検を薦められたがMRIを希望。結果は、「右辺縁域がんの疑い。被膜外浸潤なし」
・3ヶ月後、同病院で2泊3日全身麻酔経会陰部生検。何ら不都合はなく会陰部に貼られた絆創膏にほんの少しの血痕を見ただけ。7日後、CTとPET-CT。3日後、がん告知。Gleason score(GS)=4+4、Stage=T1cM0N0、陽性率4/16。「6ヶ月後の再生検と開腹手術を決断して下さい」。当方の希望でLH-RHアゴニストと抗アンドロゲン剤の処置(ADT-CAB、1カ月製剤)。T1cは生検で発見されたというカテゴリーであり、T1cの30%はT2あるいはT3と理解していたので、実際の病期はT1cではなく、T2以上を覚悟していた。

3.IMRT、ホルモンと晩期障害
・転居に伴い同年、都内国立大学法人医学部付属病院に転院。当方が希望し、また、前主治医(准教授)が豊富な治療選択肢利用可能という理由で積極的かつ親切に薦めてくれた。准教授と相談の上、転院先の医師は指名させていただいた。セコンド・オピニオンは考えなかった。転院先選択変数は、つとに知られたその実績と片道徒歩40分の通院至便(バスや地下鉄も利用可能)。
・改めて病期判定(MRI)と病理診断。GS=4+4は同じであった。PSA=4.67, GS=4+4, Stage=T2bN0M0‐高リスクが確定。当病院泌尿器科(助教)は当初、daVinci手術を薦めたが、本から既に放射線(IMRT)の知識があったために非浸襲性治療優先を希望した。2回目(助教)、「コンファランスで治療法が決まりました、次回、教授から話があります」。3回目から当方の希望した医師に。初診から3回目まで約1か月を要した。主治医の「早く見つかって良かった、手術でも放射線でもどちらでも良い、全力を尽くします」の言葉にどれくらい助けられたか。不安も懸念も吹っ飛んだ。絶望が希望に。直ぐに放射線科を手配してくれた。
・2014年75歳、IMRT(VMAT) 2Gy x 38回=76Gy。照射は実質数分(入退室10分以内)で終了。デパートに買い物に行ったような気楽さであった。電車の時刻表の如く待ち時間は無かった。その後暫くして暗転。
・最終週3週間前(38回中24回目)から治療終了まで、徒歩から妻付き添いのタクシー通院を余儀なくされた。「宿粋」のような体の変調(宿粋は通常、照射後10日目頃から始まる不具合‐だるい、食欲が無い)、発熱(37‐38.5、照射後17時間で平熱に、このような症状聞いたことが無いと医師、遺伝的体質かと当方)、夜間排尿回数急増(3から7-8回に、1時間おきに7-8分便座に座ったまま、その都度よく眠れたが、明らかに睡眠不足)、弱い尿勢、極端な口内渇き(今でもはっきりと記憶している)などの合併症。また、治療終了直後から1週間、極端な排尿困難(出ない、閉尿寸前、代わりに汗が出る)と排便困難(出ない、粘液便が出る)。食わないから出ない、飲まないから出ないと考え直し、無理して胃に押し込んだ。尿が少しずつ出るようになり、4日経ってやっと便がでた。残尿を押し出した尿道括約筋がポンプの如く排尿を楽にしてくれた。
・まさにベッドに臥す病人であった。辛かった。体重は治療前66から58kgに(治療後3年の今、64kg前後で増え気味)。これらの症状は治療後2週間目から徐々に緩和。立ち小便が可能になった。間もなく日常生活も正常に。ふらふらの体でウオーキングを再開。
・ハルナール(排尿促進)、ベタニス(尿意制御)とガスモチン(腸管蠕動促進)を処方された。排尿最困難時にハルナールを1週間だけ服用したが、原則、薬は敬遠(薬嫌い原理主義者である)。治療終了後、処方されたガスモチンに代えてタケダ漢方胃腸薬(大黄甘草湯)を約1カ月。よく効いた。上記合併症に加えてこの期間、動悸、めまい、ふらつきがあり、ハルナールの副作用か、あるいは、放射線合併症(赤血球の減少)によるものなのか。CRP値(炎症と細胞破壊の程度を示す)の大幅上昇(IMRT直後6.45、現在0.04)に示されるように、体の不如意は、自然な生体防御反応であったと理解している。
・ホルモン治療をいつ止めるかについて率直に泌尿器科主治医に相談。定説が無いとしながらも、医師の同意を得て合計27カ月(ネオアジュバント6+コンカレント2+アジュバント19)で一旦、中止した。HbA1c>7.50のため、リュープリンの副作用である脂質代謝異常やインスリン抵抗性を懸念したため。尚、ALPや肝臓諸数値は正常であり、深刻な発汗(ホットフラッシュ)はまったく無かった。27カ月は、ADT-CAB最適期間であったと信じている(注1)。IMRT後3年、ADT-CAB効果消滅後1年5カ月の今、かさかさの頭髪、すべすべ膚と顔の皮脂は完全に原状回復、勃起と体毛(腋・腿・脛)も顕著に回復途上。乳首の発色は消えたが、ほんの少し膨らんだまま。
・晩期障害として直腸出血、血便と血尿はない。但し、この3年間(注2)、力んだ(下腹部に力を入れる、無理に押し出す)ときに数回、便にごく少量の血痕を認めた。今でも毎回、覗き込んで観察している。癖になった。排尿時に尿道に擦れるような(染みるような)感じが今でもときどきある。夜間排尿回数は、再頻値=2、平均値<2.0。治療前より減少した。但し、就寝時と起床時は含まれない。尿腺は明らかに太くなった。医師によれば、ホルモン剤は通常の前立腺肥大症薬よりはるかに強い効果がある由。便は、色、サイズや長さも改善、快便である。薬は何も使っていない。治療前最大の懸念材料であった晩期障害は楽観している。治療前のときどきの切れ痔が治療後ないのは予想外の負の後遺症。

4.PSA推移
 IMRT直前(ADT-CAB5カ月後)‐ 0.02 (ホルモン高感受性と理解している)
 治療中・治療後2年(ADT-CAB中断時まで)‐ <0.01
 治療後2.5年ADT-CAB中断1年から現在まで3カ月毎‐ 0.02、0.04、0.08(2017年4月、ホルモン効果切れか、男性ホルモン復活の兆しか)

5.その他もろもろ
・特段の食事療法はしていない。前立腺がんで赤身脂身の牛豚肉制限(発覚前は肉が多く、魚や野菜が少なかった、若い頃から)。糖尿病対策で糖質制限努力(甘党、HbA1c≦7.00を確実に維持するため)。ミニトマトとブロッコリーだけは例外なく3食とも食卓に上る。便秘対策(便の柔らかさ調整)で牛乳かなり多めのミルクコーヒーを飲む(長期的に牛乳がこの病に良くないことは承知しているが、短期的な直腸対策を優先。勿論、カルシュウム摂取も考慮)。
・降圧剤(カルシュウム拮抗剤アムロジン2.5㎎)と血糖調整薬(メトグルコ250mg)1日1錠服用中。降圧剤は、その日の血圧次第の間欠服用。
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